ヨナグニウマ保護活用協会について


ヨナグニウマ保護活用協会(通称「馬広場」)とは

私たちは、日本の希少な在来馬<ヨナグニウマ>を有効に活用し、その保存に貢献することを目的に活動している非営利型の一般社団法人です*。

 

*2017年10月、NPOヨナグニウマふれあい広場より移行しました。

 

希少な動物を保護・保存しなければならないのはもちろんですが、どんなに保存の努力をしたところで、活用の場がなければ意味がありません。

 

私たちはヨナグニウマを自家繁殖し、乗用馬や治療的乗馬、動物介在教育などに活用できる馬として調教しているほか、ヨナグニウマを使ったさまざまな形の<馬遊び>を提案し、より多くの人々にヨナグニウマと遊ぶ楽しさ・素晴らしさを知ってもらう努力をしています。


一人の「若者・バカ者・よそ者」から始まった「馬広場」

今から40年近く前、はるばる神奈川県から遠く与那国島にやってきた若者がいました。

「ヨナグニウマ絶滅の危機」という小さな新聞記事を目にして、自給自足の生活をしながらヨナグニウマを守るんだ!と意気込んで、取るものもとりあえず島に飛んできてしまったこの人、まさに「バカ者・よそ者」の若者です。

 

当時、ヨナグニウマは50頭近くまで減っていて、本当に絶滅寸前でした。ヨナグニウマを守りたい、と言うものの、島には知り合いもいないし、お金もない、馬のこともよく知らない。とにかく、ヨナグニウマを手に入れないと始まらない。

 

ヨナグニウマがほしいと言い続けて3年、ようやく若者は1頭のオスのヨナグニウマ「歩鼓地(ポコチ)」を手に入れることができました。それから若者は、仕事の合間に馬と遊び続けました。何しろ馬のことを何にも知らないのですから、噛まれ、蹴られ、乗ろうとしては振り落とされ、の連続です。

 

そうして1人で馬と遊んでいると、あることに気がつきました。馬がいると、なんやかんやと人が寄って来るのです。最初はウマ好きの島人、それから島に滞在していた観光客、そしてもちろん、島の子供たち。

 

「馬に乗りたい!」という彼らを乗せて遊んでいるうちに、人が人を呼び、宿とご飯と馬遊びと引き換えに、牧場づくりを手伝う若者が入れ代わり立ち代わりやってきました。そして気がつけば、ボランティア(助っ人)のみで運営している「馬広場」ができあがっていたのです。

 

こうして、自然発生的にできた「馬広場」。気が付けば、若者が集まり、子供もお年寄りも、しょうがいを持った人も、みんなが仲良く、楽しく、馬と遊べる「馬広場」になっていました。そしてこれが、与那国島の「ヨナグニウマふれあい広場」のはじまりでした。

「小さな町に小さな馬広場」

こんな小さな馬広場が、日本全国にあればいいな。

 

乗馬クラブみたいに堅苦しくなく、どんな人でもその人なりの遊び方で楽しく馬と過ごせて、小さくてかわいい、その土地土地の在来馬が活躍できる小さな馬広場を日本全国に広げたい。そんな創始者の想いに共感し、与那国島の馬広場から巣立っていった若者たちが、沖縄本島をはじめ久米島や石垣島でも小さな馬広場を立ち上げました。

 

「小さな町に小さな馬広場」の輪は、沖縄県内で確実に広がっています。

そして今

「NPOヨナグニウマふれあい広場」は2017年10月、創始者(久野雅照・現顧問)の想いを継ぎながら、よりいっそうヨナグニウマを盛り上げるために「一般社団法人 ヨナグニウマ保護活用協会」として生まれ変わりました。沖縄本島、久米島、石垣島の馬牧場のスタッフが、この協会を支えています。

 

残念ながら、本家本元の与那国島の「ヨナグニウマふれあい広場」は2018年、スタッフ不足のため休業しました(養老馬はまだ残っています)。離島中の離島、与那国島でヨナグニウマのために一生を「棒に振る」覚悟のある現代のバカ者・若者はまだ現れません。

 

それでも私たちは希望を持ち続けます。いつか、ヨナグニウマの生まれ故郷の与那国島に、馬と人の笑顔あふれる「馬広場」が再び復活することを願って。


沿革

1982年

久野、「ヨナグニウマ絶滅の危機」という新聞記事に触発され、与那国島に移住。サトウキビの畑、酒屋などで仕事をしながら、ヤギや鶏、水牛、ウサギなどの家畜、犬猫など多数の動物との暮らしを始める。ヨナグニウマの絶滅を救おうと意気込んで与那国に移住したが、当時ヨナグニウマは50頭を切るほど減っていたため、よそ者が手に入れられる状況ではなかった。久野は代わりに水牛に乗って遊んでいた。

 


1985年

 3年の間、「馬を飼いたい」と周囲に言い続け、ようやく初めてのヨナグニウマ1頭(オス)が久野のもとにやってきた。歩鼓地(ポコチ)と命名。馬の経験も知識もまったくなかったため、裸馬に乗っては振り落とされ、を繰り返して遊んでいた。


1988年

地元の馬好きと「与那国馬同好会」を発足。 


1991年

2頭目のヨナグニウマ(メス)を入手。気が強く、オスを受け付けないので、地元の人が「要らない」という馬を譲り受けた。


1992年

歩鼓地に乗って遊んでいると地元の子供たちが寄って来たので、公園で子供たちを乗せ始めた。同時期に、荒れ地を借りて伐採をはじめ、牧場づくりを始めた。ここから、「ヨナグニウマふれあい広場」の歴史が始まる。


1994年

広場所有のヨナグニウマは5頭に増え、自家繁殖を始める。猛烈な台風13号が、作りかけの牧場を襲い、牧場崩壊。 


1995年

 

ようやく牧場らしき形が整い、島の子供たちのための馬クラブを開始する。

 


1999年

牧場を現在の樽舞地区に移転。


2000年

ヨナグニウマを教育に使いたいという小学校の先生と協力して、比川小学校に馬を連れて行き、授業の試みを始める。この年の比川小学校の運動会で、初めて小学生が乗馬演技を披露。このころ、広場所有の馬は12頭まで増えた。


2001年

現在の代表理事、中川美和子が与那国島に移住。「ヨナグニウマふれあい広場」でボランティアを始める。広場所有のヨナグニウマは18頭に。


2002年

馬クラブの子供たちをヨナグニウマのルーツ、モンゴルに連れて行く。


2003年

比川小学校における馬の授業および運動会での乗馬演技などが認められ、久野代表が「沖縄タイムス教育賞」を受賞。


2006年

 久野代表「オーライニッポン・ライフスタイル賞」受賞。産学官共同研究推進事業助成金にホースセラピーの研究で応募。助成金は落選したが、これがきっかけで沖縄本島の「沖縄こどもの国」に3頭のヨナグニウマを導入し、「ヨナグニウマふれあい広場@沖縄こどもの国」をオープンした。現在の代表理事・中川美和子が場長に就任。


2007年

ヨナグニウマを沖縄以外の土地でも普及させるため、「ヨナグニウマふれあい広場」からヨナグニウマ5頭を静岡県の牧場へ譲渡。この年、元トップジョッキーの岡部幸雄の番組、「岡部フロンティア」の撮影隊が来島。「岡部フロンティア・与那国馬編」が完成


2009年

「ヨナグニウマふれあい広場@沖縄こどもの国」が南城市に移転。「うみかぜホースファーム」と改名。オープン当時のヨナグニウマは3頭。その後、与那国島の「ヨナグニウマふれあい広場」からヨナグニウマを徐々に移動し、2019年現在は10頭飼養。


2012年

「ヨナグニウマふれあい広場」の元スタッフ・井上福太郎・恵子夫妻が久米島馬牧場設立


2014年

続いて、同じく元スタッフ、朝倉隆介・美枝夫妻が石垣島に移住。「石垣島馬広場」設立準備を始める。


2015年

猛烈な台風が与那国島を襲う。「ヨナグニウマふれあい広場」半壊。

6月、朝倉夫妻が石垣島の最北端、平久保の地に念願の「石垣島馬広場」をオープン。


2016年

2度目の猛烈な台風が与那国島を襲う。補修途中の「ヨナグニウマふれあい広場」はほぼ全壊。支援者の方々から寄付金をいただき、ようやく通常の運営ができる形にまで復興した。


2017年

「ヨナグニウマふれあい広場」でスタッフを経験し、現在は独立している有志が集まり、「一般社団法人ヨナグニウマ保護活用協会」を設立。


2018年

与那国島の「ヨナグニウマふれあい広場」は、スタッフ不足のため9月末で馬遊びの活動を休止。ほとんどの馬は沖縄本島、石垣島、久米島の兄弟牧場へ移動し、それぞれの任地で活躍の場を広げている。養老馬は「ヨナグニウマふれあい広場」でのんびり余生を満喫中。


2019年

現在、一般社団法人ヨナグニウマ保護活用協会所有のヨナグニウマは与那国島に8頭、沖縄本島に10頭。ほか、兄弟牧場の「久米島馬牧場」、「石垣島馬広場」にも計7頭が出向中。